Appleに衰退の兆しが、、、

 こんにちは。さつき台動物病院の多田です。病院の入り口に植えられていたオリーブの木が、カミキリムシ幼虫に幹を食い荒らされ(おそらく)枯れました。カミキリムシ幼虫の恐ろしさは今まで耳にしてきましたが、百聞は一見に如かずとはまさにこの事かと驚愕しております。いくら樹形を大きくしないよう維持していても、幹が太くなればカミキリムシ幼虫にやられる様を見て、安定している会社も未来永劫の安定を維持することは不可能だと痛感しました。ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの流れにあらず。やはりソニーや富士フイルムのように、他分野に新しい木を植え続けないと生き残れないのでしょう。

 

 さて、新型iPhoneが出ましたね。Androidユーザーである私には全く関係ありませんが、中学1年生以来の濃厚マックユーザーなので、かなり長期間Appleにお世話になっている存在なのです。新型iPhoneの宣伝に「初めてチタニウムを使っています。」というものがあります。

 

 そうです。Appleもついに認知症になりました。Appleが大々的にチタニウムを使うのは、「2回目」なのです。時を遡ること2001年、PowerPC G4を搭載した初のノート型MacintoshとしてPowerBookG4が登場しましたが、その筐体はほぼフルチタンで作られていました。チタニウムが金属アレルギーを起こさないとかパソコンの性能とは全く関係無い宣伝文句が並んでいましたが、当時としては考えられない性能・画面の広さ・本体の薄さ軽さ・小ささ・バッテリーの持ちなど、どう考えても未来から来たコンピューターだったのでした。下位モデル30万、上位モデル40万でしたが、大学に入学が決定した私はどうしても欲しくて欲しくてたまらず、全方位に入学祝い行脚と言う名の恫喝を行い、足りない分はアルバイトで下位モデル30万円を持ち帰り在庫が都内で唯一あった池袋ビックカメラで購入したのでした。新宿を根城としていた私は池袋という未知の地を30万円のそれもおそらくその時点では都内で唯一の在庫であるPowerBookG4を持って歩く緊張感とこれから家に帰って開封する楽しみの入り混じった気持ちは、この先フェラーリを買ったとしても味わえないものだったでしょう。おそらくひったくり回避のためにPowerBookG4の箱を無地の段ボール箱に入れて、そこに取っ手をつけて店員さんに送り出され、さらに自分の持つ物の貴重さを実感させたのでした。

 

 その後、私はどこに出かけるのもPowerBookG4と一緒でした。京王線の満員電車にも耐えたチタンPowerBookG4。理科大を中退し帯広に引っ越した日、初めての一人暮らしの部屋の最初の夜、一人になってちょっとさみしいなと思ったときもチタンでできたPowerBookG4で音楽を流して寂しさを紛らわせたのでした。ちなみに翌日からはウキウキしか感じませんでした。

 

 おっさんになった今では中古の10万円以下のMacbookAirをヤフオクで買い、新品のMacbookを購入することは無くなり、スマホもiPhoneは高いので1回も買ったことが無く国産メーカーの型落ちAndroidを使っているケチケチおじさんになってしまいましたが、それはもうあの池袋からの家路で感じた気持ちは一生味わえないことがわかっているからです。

 

 そんな思い出をくれたAppleおじさんのチタンPowerBookG4でしたが、AppleおじさんもAppleおじいさんとなり、かつて自分がチタンで製品を作っていたことをすっかり忘れてしまったようです。

 

宮崎駿って庵野秀明を意識しすぎたのだと思う

 こんにちは。さつき台動物病院の院長 多田です。みなさんは観ましたか?「君たちはどう生きるか」。おそらくこのブログを見ている人は観ていないと思います。なぜならブログを読んでいる人の大半は「君たちはどう生きるか」というタイトルの映画を観に行く必要のない「良くも悪くももう生き方の決まった」私と同年代または諸先輩方なのですから。アントニオ猪木の「行けばわかるさ、迷わず行けよ」や美空ひばりの「川の流れのように」の方がよっぽど共感できます。

 

 さて、そんな理由で私と「君たちはどう生きるか」のファーストコンタクトは金曜ロードショーになることが題名が発表された時点で確定していました。映画の内容について細かくリサーチしましたところ、どうやらこの映画の物語は「観客それぞれの受け止め方系」のしっかりとした主張が無いそうです。困りました。私は宮崎駿はてっきり「ガッツリ説教系」のハンマーで観客を殴りまくって、この映画を観た若者は次の日からそれまで目標のあった人は目標に向かって、目標のない人はなにか目標探しの旅に出なくては居ても立ってもいられなくなるような映画なのだと勝手に予想していたのです。

 

 私は「フォレスト・ガンプ」中毒で、映画を観るといえば「フォレスト・ガンプ」を定期的に繰り返し観続けるだけなのですが、それはなぜかというと10代の時にフォレスト・ガンプを観て「人生とは自分の能力を必要としてくれる場所をみつけ、そして自分は周りの期待に応えるためにその場所で一生懸命頑張り、それでも思うようにならないけれでも、思わぬ報酬を得ることができる。なのでいつも頑張れ。」という事を学んで以来、この事を忘れないためにフォレスト・ガンプを定期的に観るようになりました(実は「お前のIQは160はあるに違いない!」のくだりが好きなだけ)。

 

 私の予想では「君たちは〜」の映画は今の10代にかつて10代の私がフォレスト・ガンプから受けたような衝撃、感銘を与えてくれる映画だと(勝手に)思っていたのですが、どうやらファイト・クラブのような映画だったようです。(ちなみに私は2023年になって初めてファイト・クラブを観ました。むちゃくちゃな映画でした。その流れで「セブン」を観たのですが、結構はじめの方で飽きてしまい結局フォレスト・ガンプを観ました。)

 

 「君たちは〜」がどうしてファイト・クラブ的な映画になったかといえば、宮崎駿のかつての仲間であった、あの迷監督の存在があったからに他ならない。そう、庵野秀明である。私が高校生の頃、ちょうどエヴァンゲリオンなるアニメが人気を博していた、冷静になって今観てみるとファーストガンダムのテーマをパクったアニメなのだが、設定が謎に満ちておりさらに丁度ファーストガンダムを(再放送でも)観ていない世代の我々には新鮮に映り大ヒットとなった。

 

 しかし

 

エヴァンゲリオンの設定はアニメが集結しても謎のままで、その謎を解き明かすべく映画を作ったがやはり謎で(しかも前半は総集編)、その10何年後に改めて4部作の映画を作るも全然別の話になっており(しかも前半2つの映画は総集編のリメイク)、10年以上かかって完結した作り直しの作り直しで別の話になった4部作の最後も謎。私がタイムマシンを手に入れたら1990年代初頭に戻ってエヴァンゲリオンというXファイルをまず抹消しに行きます。

 

 宮崎駿もエヴァンゲリオンをみて「僕も結末を謎めいた作品作りたい!」となって、「君たちはどう生きるか」という謎結末の映画を作ってしまったのでしょう。こうして日本にまた人つ「君たちはどう生きるか」というXファイルが増えたのでした。「ハヤオ、あなた疲れてるのよ」

 

 「君たちはどう生きるか」なんて題名のアニメ映画を、映画館で若者に混じって観るなんて、おじさんになったら小っ恥ずかしくてできないよ、、、、。題名もっと何とかならなかったのかな。

 

 あと30年経って宮城リョータの家庭問題も知りたくなかった!

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努力は才能に勝る(※)と確信した話

 こんにちは。さつき台動物病院の院長多田です。ついにまたジャニーズ大河をドロップアウトしてしまいました。なぜでしょうか?やはりジャニーズに何かしらの恨みのような潜在意識があるように思えます。「観たら負けだ!」のような考えが自然と浮かんできます。私の前世はおそらくジャニーズにうっかり踏まれて死んだアリなのだと思います。早めに人間に転生できて良かったです。

 

 若かりし頃は同期のタッキーに(同期というのはジャニーズの同期という意味ではなく、あくまで学年)コテンパンにやられ、自分の存在意義を見いだせなくなりタッキーの才能にただただ嫉妬するだけであったが、40年生きていると努力は才能に勝る事を確信する出来事に出くわすものである。

 

 ポルシェ911という車がある。どんな車かというと、あなたが街でポルシェだな〜と思ったポルシェが911です。このポルシェ911は、ドイツのニュルブルクリンクという20km位あるサーキットで、市販車最速タイムを持ち続けている車である。正確にはそうでは無いが、全年代でのニュルブルクリンク最速の市販車は?と質問されたらポルシェ911と答えて異論は無いと思う。このポルシェ911もう何十年もずーっと作られており、当然どんどんパワーアップしているから、全年代での最速車で居続けられるのです。しかし、911は私としては欠陥車だと思うのです。それは後ろにエンジンを積むRR(後エンジン後輪駆動)の車で、加速しすぎると前輪が浮いて曲がれなくなるという致命的な欠点を持っています。なぜそんな構造なのかというと、昔の車は技術的にそうせざるを得なかったのですが、911だけはその、昔の構造のまま作り続けているだけの理由です。RRでないと911とは呼べなくなっちゃってるんですね。これはヤクルトファンなら池山選手と思っていただければわかると思います。ちっちゃいスイングでヒットを狙う池山を池山とは呼べないのです。SHINJO選手もそうでしたね。

 

 90年代に入り、911もエンジンを空冷から水冷に変えたのは環境性能や騒音の問題から仕方ないとして、水冷になったことでより強大なパワーを手に入れることになったのですが、RR構造ではどうにもこうにもコントロール不能な欠陥車となってしまうためどうしたかと言うと、四輪駆動にして解決するという力業に出たのでした。これはイチローが、「バット1本では限界が見えたので、バッターボックスで尻もちをつき、両足で2本目のバットを持って打席に入る」のと同義です。RRを捨てた車を911と呼べるのか、尻もちついてバット2本持ってる人を野球選手と呼んで良いのか、、、。

結果、4WDのポルシェは世間に受け入れられました。おそらくイチローも現役中にこのブログを読んでいれば打率8割を達成していたでしょう。

 

 その後、911はさらなる強大なパワーを手に入れ続ける事になるのですが、そこらへんは電子制御によってなんとかして現代まで最速車のポジションをキープしております。またイチローで例えると、2本バットでは足りないので、機械の体を手に入れてしまった感じですかね。一方で現在はAMG Oneという、ルイス・ハミルトンがブイブイ言わせていたF1カーにガワを被せた車が一番速いみたいですが、こっちは才能ある選手が自分に向いている競技で、正しく努力を重ねた結果=大谷翔平みたいな感じですね。AMG Oneは市販車とは言えないんじゃないかって?そんなの高性能版911だって普通の人は買えないんだから市販車とは呼べないよ。

 

 しかし、911は後エンジンというハンデを背負いながらも、4WD化と電子制御によってニュルブルクリンク最速の称号と後エンジンというアイデンティティを同時に守ることができたのでした。才能が無く(AMG Oneのように真ん中にエンジンでなく後エンジン)でも、努力(4WD化と電子制御)でなんとかなるもんだなぁと思わせられる一件なのでした。

 

(※) ↑のように書きましたが、マニュアルトランスミッション、暴力的な騒音の空冷エンジン、後輪駆動などの多くのアイデンティティを実際は失っています。サイボーグ化したイチローが大谷選手のスイープをホームランにしてもなにか素直に喜べないのと同じ匂いがしますね。キアヌ・リーブスが911のルーフにもみの木を縛り付けてお持ち帰りしている写真がありますが、ニュルブルクリンク最速でなく積載性でいったら圧倒的にステップワゴンの勝ちですね。努力は自分に向いている分野でする必要があるようです。

 

デジタル庁の残業とAIに関する勘違い

 こんにちは。さつき台動物病院の多田です。マイナンバーカードのトラブルで、日が昇るまで残業している国家公務員のみなさまお疲れ様です。そりゃあ新しいシステムなんですから、トラブルは絶対に出ますよ。仕方ないと思います。スタートの段階でトップの人から国民に「〜という理由でマイナンバーで国民を管理する必要があり、おそらく初期にはトラブルが生じると思うがご理解ください」的な説明があればこんなに叩かれなかったと思うのですが、どうやら政治の世界にはインフォームド・コンセントなんて概念は無さそうなので仕方ないですね。私はどうせトラブルが出て、住基カードみたいに無かったことになるんじゃないかと思い、マイナポイントに後ろ髪を引かれましたが、まだ作っていません(やましいこともありません)。

 

 さて、「デジタル庁が残業をするとはいかがなものか!」というお叱りの言葉がネット上を飛び交っておりますが、そもそも何でデジタル庁でトラブルが発生したときに4時まで頑張って復旧しようとあくせく働いて文句をいわれなきゃいけないのでしょうか、デジタル庁の人の身になって考えてあげてほしいです。デジタル庁の中の人にも苦労してようやく約束できたあの子とのデートをぶっ飛ばして残業した人もいるはずなのに、世間の声は「よくやった!」と賞賛の声でなく「残業などけしからん!」ですからね。正確には「残業させるデジタル庁がけしからん!」なのだと思うのですが、僕が残業したデジタル庁の職員であれば、まず「お疲れ様です。ありがとうございます。」くらいは言ってもらわないとマイナンバーシステムの入ったサーバーに誤って水をぶっかけてしまいそうです。

 

 そもそも、デジタル庁=残業したらイカンと思ってる人は、デジタル庁の仕事って全部コンピューターが自動化して行っていると思ってるんでしょうか?そしたらデジタル庁に人間はいないはずですし、デジタル庁長官もきっと人間ではないはず。デジタル庁長官が人間である時点で、当然職員も人間ですし、人間が働いているということは当然ヒューマンエラーが起きるし、そうしたら残業が生じることくらい自明の理のはずです。

 

 昨今はなんでもかんでもAIAIって呼びますが、現在AIと呼ばれているものは手塚治虫漫画に出てくるような自立したAIではなくて、エキスパートシステムと言われるどこかの誰かが組んだ単なる作業用プログラムです。自己学習とかディープラーニングとかはせいぜい木下青年の「草履が冷たいとかわいそうだから、懐で温めておこう」や石田少年の「まずは喉が乾いているはずだから、薄くてぬるいお茶をたくさんだ!」程度の学習しかできず(JRの自動販売機的な感じ)、「今夜の本願寺は危険度MAX!」なんて人知を超えた予測は無理なのです。プログラムが人知を超えないなら、デジタル庁ではトラブルを人間が残業して解決しないといけないですよね。

 

 結局、SNSなどで個人の発言力が高まってしまった結果、こういった十分に実状を理解していない人の意見が世間の目に触れられるようになってしまった結果、混乱が生じ、それに対して「勘違いされないように一目瞭然な名前をつける」という対策が取られた中で生まれ一定の支持を得たのが「NHKから国民を守る党」なのでしょう。それであればデジタル庁は「将来的に色々な事を自動的にコンピューターで処理できることを目指す庁」、防衛省は「ガンダム&EVA省」にして、防衛増税も「Zガンダム配備税」とかにしたら国民の半分強(♂)の支持は得られそうです。