水原一平という名の浦島太郎

 こんにちは。さつき台動物病院の院長 多田です。大谷翔平がらみの書籍から軒並み水原通訳の存在が消されているらしい。先日も子供向けの「君も大谷翔平のようにがんばれば夢を叶えられる!」的な絵本から、水原一平の存在が消されたらしい。昨日本屋へ寄ったところ当該の絵本があったため、噂のページを見てみたが、見事に消されていた。

 

 さて、水原通訳は大谷翔平の資金口座からある程度自由にお金を引き出せたようであるが、約30億円もの金を本人以外がしかも違法賭博の胴元へ振込ができるなんて、大谷も銀行も税理士も資金管理を任されている弁護士も何やってんだ!という話だと思う。当院の口座にそんなに残高があるわけではないが、高額機器の購入の際に1日のオンライン手続きでの振込額の上限に頭を悩ませる事もあるし、クレジットカードは時々不正請求をされているしで、お金が入った口座は結構大変なものである。少なくとも当院の口座を大谷翔平スタイルのガバガバ管理に任せていたら、不正請求、払い忘れ、横領等でとっくの昔に閉院していた気がする。

 

 一方で、水原通訳のギャンブル依存症であるが、院長や社長のような役職にいるものは常に孤独に悩まされるそうである。私は悩みは誰にも相談せずに自分で解決するキミ・ライコネンスタイルを幼少期から貫いているので問題が無いが、世の経営者は酒・女・ギャンブルの3つに依存してしまいがちなんだそうだ。その中でも最もタチが悪いのがギャンブルだそうで、なんとか製紙の社長が塀の中にまで行ってしまっていた。水原通訳の場合は、孤独が原因というよりお金を動かせる立場になってしまったのが悪いのか、もともとお金目的でプロ野球の通訳をやっていたのかわからないが、もしかしたら日ハム時代に大谷翔平をターゲットにロックオンしていたのかもしれない。そういう点では今回は捕まってしまったが、当初の目的は果たせたのだろう、しかし彼の人生はめちゃくちゃなものになってしまった。

 

 私の身長体重は177cm75〜85kgである。生まれて気がついたらこの身長体重にだったので特に何も感じたことは無かったのだが、プロ野球選手名鑑を見ていると頑張ったらプロ野球選手になれる身長体重であった。でも、絶対にプロ野球選手にはなれないことは、走れない、シゴキに耐えられない、そもそも野球を中学で辞めていることからも自明である。今では勉学に励み獣医になって良かったな、と思っているし、一方で大谷翔平も勉強して獣医なんか目指さずに、向いてる野球やって良かったなと思ってるはずだ。頑張れば夢が叶うというのは「時々そういう人もいるね」という程度で、向いてることがわかっていればそれに取り組むのが良いが、大抵は自分が何に向いてるかなんて40歳過ぎてもわからないので、学生の間は特に理由がなくても勉強しておくのが無難だなと思う。

 

 以上の事を考えると、子供向けの大谷翔平絵本が本当に伝えるべきことは、「頑張れば夢が叶う」ことではなく、「口座の管理はしっかりしろ」「ギャンブルに手を出すな」「お金は持つことで人生を台無しにしうる」の3点だろう。そして本当に大切なこの3点を子供に伝えようと思えば、絵本から水原一平を削除してはならないと思うのです。

 

 「頑張れば夢は叶う」をテーマに大谷翔平を絵本にして、水原一平を削除することは、あまりに商業的で、本来絵本が持つ道徳的な役割をあまりに無視していて、玉手箱を開けてしまった浦島太郎の存在を、話の中から一切削除することと同じだと思う。

万国ドラゴンボール総復習会

 鳥山明が亡くなった。68歳だったそうだが、漫画界の偉人は手塚治虫、藤子Fなんかをみても早死してしまうのが通例だ。漫画家で最も稼いだのではないかと思われている遊☆戯☆王の作者も亡くなっている。最近は漫画をリアルタイムで読むことも無い私には、鳥山先生の死は大した影響を与えていない。ベルセルクの作者が未完のまま突然死してしまったことや、食べれませんの作者が30代で亡くなった時のほうが衝撃を受けたし影響があった。「ら抜き言葉」って完全に定着しましたね。

 

 そして、いま全世界でドラゴンボール総復習大会が改めて行われている。ドラゴンボールが日常の話題に上がることなどここ10年は無く、それはまさしく蛇口から出る水が話題にならないことと同じ、つまりドラゴンボールという作品は私達にとって水道水と同じ程度に生活に密着したものだったことにいま気付かされる。当たり前に水がもう手に入らなくなると気がついて、初めて水道水が話題に上がるのである。

 

 学生時代にリアルタイムでドラゴンボールを読んでいた私にとって、ドラゴンボールのセル編とブウ編は蛇足であったとずっと感じてきた。総復習大会での感想でも、セル編とブウ編はそれまでと比較して評判は良くないようである。ギャグ要素やウパとその父、悟空とじっちゃんの家族愛などもあったほっこりバトルマンガの前期、サイヤ人来襲からフリーザ編までのシリアスな中期、セル→ブウ編の後期を比較すると、前期〜中期が面白く、特に悟飯をピッコロが修行したり、ピッコロが悟飯を庇って死ぬシーンはリアルタイムで読んでいた読者には今考えてもジャンプ史上5本の指に入る胸熱シーンである(悟飯の道着の文字が「魔」なところも)。「炭治郎が杏寿郎の鍔を使うって胸熱だよね!」とか言ってる小学生には「ドラゴンボール読めよ!」と言いたい(老害)。だいたい柱合会議で炭治郎を死刑にしようとしてたじゃないか、あいつは。ピッコロは当時で言ったらラスボスだぞ。ちょっと前まで魔ジュニアって呼ばれたたんだぞ!

 

 さて、セル編とブウ編であるが、改めて評価してみようと思う。30年も経てば評価が変わってもおかしくない。

 

 セル編:私がセル編で最も興奮した場面、最初に謎の青年(トランクス)が復活したフリーザを剣で真っ二つにしたシーンである。当時の読者はあのシーンで、トランクスは大猿化したベジータの尻尾を突然切って地球を救ったヤジロベーと同じ類の「一瞬で試合の流れを剣で変えるゲームチェンジャー」だと思ったはずだ。F1で言うとセバスチャンベッテルが出てきた時に似た興奮を覚えた。しかし、その後のトランクスの口からは悲惨な未来が語られ、必死こいて戦った19&20号は人違いやて!、ベッテルはワールドチャンピオン4回獲得だが、トランクスもイマイチ活躍せず、出落ち野郎であった。しかも、結局未来でボコボコにされて片腕を無くす悟飯が活躍してセル編終了。作品が違えばタイムパトロール案件である。おい!トランクス!失望したぞ!剣使わんかい!クリリンにはもっと失望させられた。

 

 ブウ編:セル編を白けた雰囲気にしたのは主にトランクスであったが、実はもう1名その責を追うべき人物がいる。ミスター・サタンである。中期には全く出てこなかったギャグキャラの復活である。こいつが全盛期(中期)の雰囲気を良くも悪くもぶち壊しにしてしまっている。しかも前期にはあれだけ多種多様な見た目のキャラクターが百花繚乱していた漫画であったのに、新キャラはサタンしか出ていなく、悟天という少年期悟空のコピーキャラが出たり、原稿をコピーして使ったり、作者のモチベーション低下を如実に感じさせる作品になっていた。ただ、最後にサタンの嘘で世界が救われる点は良かったと思う。政治家も国民全員ががんばらずして国が良くなるハズが無いのだから、サタンのように上手く国民を騙して頑張らせてみんなが幸せに暮らせる良い国にしてほしいと思う。サタンはドラゴンボールの中で唯一の良心の塊だった。ヤジロベーも根はいい奴なんだけども。

 

 ちなみに、家族を持って丸くなったベジータが悟空の強さを認めるのが胸熱と書いてる人が多いが、みんな忘れてると思うが幼少期の悟空はサイヤ人気質が強くとても凶暴でじっちゃんも手をつけられなかったが、頭を強く打って以来おだやかになったのを忘れていないだろうか。ベジータはおそらく地球に来るまで誰にも殴られたことが無かったのに、悟空に会って以来ボコボコにされ続けているし、ナメック星ではクリリンに半殺しにしてほしいと言ってしまうくらいのパンチドランカーである。きっと頭を強くうちすぎた結果としての「お前が(頭を打った回数が)ナンバーワンだ」なのであろう。

 

 鳥山作品での一番の傑作は間違いなくスライムで次点は勇者ヨシヒコかなと思います(奴隷にされたり石にされたりリアルタイムのプレイでは衝撃だった。逆玉を選んだほうが子供が強くなるのも衝撃だった。もちろんビアンカ派です)。三位はなぜか小学校のクラスで真似が流行ったミスターポポです。「タダ・ユウイチ、嘘つかない」。

ーおわりー

新百合ヶ丘で体験するインバウン丼

 こんにちは。さつき台動物病院の院長 多田です。築地じゃなかった豊洲の市場?食堂?レストラン?で提供されるまぐろ丼だか海鮮丼が6000円とかしてるらしく、主に外国人向けの価格設定らしく「インバウン丼」と呼ばれているらしい。海鮮丼6000円って正直海産物が有名な地方、例えば私が数年に1回行く富山を例に出せばちょっと良い寿司屋で食べればそんな値段である(実際は6000円はしないと思うが、輸送費地価平均賃金を考えると同じような価格設定であるといって間違いは無い)。

 

 この「インバウン丼」の価格を見て、「日本は今こそさらなるインフレにすべきである!」と騒ぎ立てている人もいるらしいが、私はそうは思わない(そもそも以前言われていた2%のインフレ目標は達成されているし、国によってはインフレしすぎてとんでもなく生活しづらい場所もある)。そもそもなぜ市場で海鮮丼を食べるのか?

 

理由1.新鮮だから

 ノーそうではない。昔、帯広から函館に遊びに行った時、函館朝市でイカソーメンを食べようと(今は函館でイカは採れなくなりました)フラフラ歩いていると、カニを買わせようと色々な所から声をかけられる。北海道のカニは主にオホーツク海の産物である。つまり、カニは紋別ー帯広ー函館と移送されて売られている。一度自分の横を通り過ぎて輸送費が加算されたカニをわざわざ函館まで追いかけて買って、また帯広に連れて帰って食べる気にはならない。市場で買うものが本当に新鮮かはわからない。

 

理由2.安いから

 釧路の和商市場の勝手丼は結局割高な感じがずっとしていたが、イクラ丼はちょっと安い感じがした。でも実際にはそんなに安くなかった気がする。清水の市場で食べた刺身定食は2500円位だったと記憶しているが、信じられない位の刺し身の量で、結果的にお得だった気がする。清水の刺し身定食は寿司屋で同じものを食べたら倍位はするのでは無いだろうか?市場の食堂は、サービスはあまり良くない、店も豪華ではないし、箸も安い割り箸である。でも安さはありそうだ。これが市場で海鮮丼を食べる動機になっている気がする。

 

 そう考えると、大都会東京に旅行に来た旅行者が新しく移転したTOYOSUでシーフー丼を食べようとした時、安いものよりもしっかりとした思い出に残るものを食べたいと考えたとする。そうなったときに、秩序が守られたキレイな環境でしっかりとしたサービスで海鮮丼を食べようとすると適正価格のものを食べることになるであろう。そう、「インバウン丼」の価格は「適正価格」なのである。我々は「市場=安くて美味しい飯が食えるテーマパーク」と認識しているので、「市場の海鮮丼」はそれを実現すべく安く提供されている「お得丼」なのである(その分サービスも市場基準でそれがまた市場をテーマパーク化させている)。夜10時以降の新宿発小田急線に必ず「頭からネズミの耳が生えたままの人間」がいるように、テーマパークに魅了された人間は、イカソーメンをキメたあとにうっかりオホーツク産のカニを買って帯広に帰還してしまうのである。カニは道中で「あれ、私ってオホーツクに帰れるの?」と勘違いするであろう、カニにも買った人にもとても気の毒なことである。ちなみに私はカニが嫌いなので食べないし買わない。そしてカニが好きな人に1年間カニを食べたいと思わなくする方法を知っています。

 

 さて、インバウン丼は適正価格になっただけという話にこれだけスペースを取ってしまったが、これを根拠によりインフレにさせたのでは日本全体がボッタクリランド&ボッタクリシーになるだけである(ネズミの国は私の学生時代の倍になりましたが、今の「大人には」適正価格だと思います。ただ、本来は大学生以下の子どもが楽しめる価格のテーマパークであって欲しいと考えています)。アダム・スミスは「神の見えざる手」で自由経済のもとでは需要供給のバランスにより自然と適正価格が決まると解いたが、頭に生えたネズミの耳は果たして適正価格なのだろうか?市場のイクラ丼は適正価格なのだろうか?それを調査するために以下の試みをした。

 

 新百合ヶ丘周辺で3件の鰻屋を調査した。

・デパート(死語)の上の鰻屋ーなんと1万円

 無料で米を大盛りにしてくれようとしたが、食べられる自信が無く断った。ウナギは国産だと思う。味は美味しい。昼時であったが、周りにはリタイアされた御夫婦が何組かおり、お米を残して、昼から酒を飲んでいた。なんだか私は社会保障を維持するために重い納税を課せられた奴隷のような気分になり悲しくなった。ご飯は大盛りにしなくて良かった。私には納税の義務がありますので、今後ウナギに1万円は払えませんという感想。店に非は無いけど、割高ではあると確信した。お金持ちのリタイア御夫婦がいらっしゃるお店に昼間から行くのは私の精神安定上良くない。

・北部市場の2階の食堂のうな重ー2000円位

 「市場だから安い!」と思いウキウキしながら入った。周りは仕事の途中で寄ったサラリーマンが多く、ぱっと食べてぱっと帰る。店の佇まいは市場感が出てて良い。これでウナギが美味しかったら良かったのだが、スーパーで買うウナギの味だった。やっぱり2000円で美味しいうなぎは無理か、、、、。という結論に達する。2000円出すなら国産のウナギをスーパーで買って家で食べようと思った。

・寺家の鰻屋ーなぜかざるそば&ミニうな重セット3500円位

 いまどき3500円程度で美味しいウナギが食べられるわけ無い!市場の二の舞いか!と思い食べてみたが、美味しかった。実は奥さんと二人でウナギを食べに行くことにしたんだけど、1人5000円とか出したくなかったから値段で選んだけど正解でした。これがいまの適正価格(20年前より1000円位高くなった感じ)なのかなと思いました。

 

 結局、昼間から酒を飲みたいリタイア夫婦は歩いて行けるデパートでウナギを食べる。もし価格が5000円であれば私のような納税奴隷が迷い込み「米を残すな〜」と暴れる可能性があるので、それを排除するためにも昼から1万円のウナギを提供するのは適正価格である。寺家で3500円で美味しいウナギが食べられる以上、北部市場というテーマパークでは2000円でウナギを出す必要がある。そうなるとやっぱりスーパーのウナギになってしまう。つまり上記3店はそれぞれの適正価格で提供していて、やはり豊洲のインバウン丼も単なる適正価格なのである。

 

 最後に、動物病院の適正価格って何で決まるのか?院長の年齢?学歴?見た目?トーク力?アピール力?治療内容?技術?資格?スタッフ数?家賃?建物のでかさ?待合室の無料ドリンク? 一つ思うのは「さつき台動物病院」から「さつき台動物医療センター」という名前にすると、50%位高くしても受け入れられそうな感じがしてます。しかし、これは動物病院をテーマパーク化してるだけなのかもしれない。

X Hiroshimaじゃない方

 箱根駅伝、昔は年始に祖父の家で観ていたのですが、近頃はめっきり見なくなりました。祖父の家で観ていた頃は山梨学院大学が早稲田と戦っていた時期(調べたら1990年代前半)で、山梨県出身だった祖母が山梨学院大学が活躍することをとても喜んでいた記憶があります。祖父はなぜかケニア人留学生を応援していました。家庭の問題で日本に居づらくなり満州鉄道で働いていた経歴を持つ祖父は、遠く離れたケニアから日本に来ている留学生と日本を捨てる覚悟で一人満州へと渡った自分を重ねていたのでしょうか。

 

 さて、先日X Hiroshimaについてのブログを書きましたが、今回は元ツイッターのXです。「人を志すって、志すとしたら俺はまだ人じゃないって事なのか!?」と笑いを取っていた人もXでの発言がきっかけか活動休止に入ってしまいました。当時一緒にテレビに出ていた彼のご家族も「平凡な人生を歩み、トラブルで世間を騒がせない人を志して欲しかった」のかなと思いました。このようにXはトラブルを生んだり、文字数が少ないことから「使っていると長文を理解できなくなるって頭が悪くなる」などと言われてきました。

 

 石原都知事が都知事選の際の記者会見で様々な経歴の人が多数立候補しており、もしかしたら石原都知事の再選が危ういのでは?と言われた際に記者から「有力と思われる候補者が数多くいるが、石原都知事はどう思われるか?」と問われ、一言「百花繚乱」と返答した事に私はなんと簡潔な返答なのだろうと感激した覚えがあります。このように、本来つらつらと長文で説明するよりも、一言で全てを簡潔に要約できることが本来の語彙力であり、学があるとは正しく簡潔な文章に自分の考えを解りやすくまとめられることだと思っていました。しかし、この事は上記Xの評価とは全く逆の事となってしまっています。なぜなのでしょう。

 

 私にとっての箱根駅伝は、一般入試で早稲田の政経に入りエースとして2区まで走っている選手と戦う山梨学院大学のケニア人を祖父母とともに応援するものだったのですが、山梨学院大学も優勝に絡まなくなり、祖父母も天国に行ってしまいましたので、箱根駅伝を観る理由も無くなりました。いったい山梨学院大学はどれほど強かったのかと実際に調べてみると、92年94年95年と三回優勝しているだけで、そんなに強くありませんでした。私にとっての箱根駅伝最強といえば山梨学院大学のケニア人という認識は間違っていました。箱根駅伝最強校は実は中央大学(昔強かった)で、近年は青学駒沢東洋の戦いなんですね。第1回はなんと国公立唯一の筑波大学が優勝していますが、これはきっとサッカーワールドカップ第1回優勝国ウルグアイと同じ匂いがします。

 

 最強と思っていた山梨学院大学が実は大したことが無いとわかってガッカリな気分もしますが、今でも箱根駅伝で山梨学院大学が優勝してくれるんじゃないかとちょっと期待してしまうあたりは、1985年に阪神ファンがカーネルサンダースを川に投げ込んで以来、彼らが38年間「阪神こそが最強の野球チーム」と信じていた気持ちと同じなのでしょう。

 

 前回のブログは書き途中ではなく、X風に投稿してみたのですが、よく調べてみると私の信じていた山梨学院大学最強説は阪神最強説と同じものでした。上記のように調べてみると歴代最強は中央大学、次に早稲田、近年は青学駒沢東洋であることがわかり、また一つ賢くなることができました。背景知識が十分なケースの要約した短文に価値がありますが、背景知識が無いor調べ無いor調べようが無い場合の短文は価値が無いばかりか内容が不正確で価値が無いばかりか有害ですらあるようです(Xは大抵こっち)。上記のように調べた内容が詳細に記述されている場合は、背景知識がある程度保証されるので、長文になるが価値のある文章となる。そして長文は背景が読めるので、真贋を見極めることができる。でも、Xで長文を分割して連続投稿するのは読みづらいのでやめてほしい。

 

箱根駅伝観なくなった理由

 昔は早稲田大学という向日葵と山梨学院大学という野に咲く月見草の戦いだったから楽しかったのだ。山梨学院のケニア人が、卒業後も安泰を約束されている早稲田のエースと戦う姿こそが私にとっての箱根駅伝だった。