こんにちは。さつき台動物病院の多田です。昨日10年以上に渡って私(と欧州)の悩みのタネであったシリア内戦に一区切りがついた。日本人である私がなぜシリア内戦について悩んでいたかというと、大学時代なぜかシリアに縁があったからである。
本来運動嫌いの私は、何故か大学時代にハンドボールに勤しんでいました。大学2〜3年の頃、体育館に突然身長180cmを超える(見た目)アラブ人(以下A)が「オレはハンドボールをしていたんだ」と練習に混ざってきました。当時は排他的であった帯広畜産大学生はあまりAを受け入れなかったのですが、私を含む好奇心旺盛な数名はAと仲良くなったのでした。出身を聞くとシリアという国らしい、理系の私からすると「シリア?」であったが、トルコとサウジアラビアの間みたいなところの中東の国であることは当時インターネットを駆使してわかった。アラブ=イスラム教=過激派と勘違いしていた私であったが、Aに接してイスラム教は別に過激派では無いことも理解した。
家に夕食に招かれたり、デジカメを買いたいから100満ボルトに連れて行ってくれと言われて車に乗せて出かけたこともありました。ハンドボールの社会人チームに所属したAとは、時々地元の大会で敵同士で試合をすることもあったが、試合の合間にはマクドナルドで二人で食事をした思い出もある。マクドナルドのカップに書かれたアラビア語を指して「What does it mean?」と尋ねると、隣に書かれた「I'm lovin' it.」をにこやかに指しているAの笑顔は今でも忘れないもので、スポーツとつたない英語があれば世界中の誰とでもにこやかに昼食を食べられる事を学んだ。近代オリンピックの父クーベルタンもきっと同じ気持ちだったのだろうと思う。そしてAは私の愛車インプレッサに乗るたびに、「Nice Car.」と言いながら内装をコンコン叩いていた。
そんな矢先、私の尊敬するハンドボール部の先輩が仕事で海外に飛ばされる事になった。行き先は、、、、またシリアであった。先輩は結局10ヶ月✕2クールつまり約2年シリアで生活したのだが、日本に帰ってきて大学に用事があるときなどは私のアパートに泊まることが多く、夜はシリアでの生活を詳細に教えてくれた。独裁に近い国らしいが、とても住めないということも無く、人々も親切で住めば都らしい。先輩は外にどれだけでもいる野良猫を餌付けして楽しく生活していたようである。時々来るメールに野良猫が妊娠したという一文があった時に、日本人がシリアに住むと野良猫も家族の一員になるのだと思った一方で、それくらい心に余裕の持てる国なのだと理解した。そしてシリアで日本車は走行距離が30万キロ以下は新車みたいな扱いとの事であった。確かに私の車はナイスカーだろうなと思った。
しばらくするとシリアで内戦が始まった。先輩が住んでいたアレッポには歴史的建造物(多分日本でいうと姫路城松本城的な城)があるそうだが、それが壊されたとか、Aの故郷であるハマで戦闘があったと聞くととても心が傷んだ。Aは13人兄弟の末っ子で、兄弟の半分はアメリカで働き残り半分はシリアにいると聞いていたので、合ったこともないのだがAの家族を心配した。そんな内戦が一区切りつき、今後は民主化するのかはたまた新たな独裁者が現れまた内戦となるのかわからないが、国の生活費である税金を払わなくてはいけなくなる「103万円の壁」なんてものが一大議論になるような状況にシリアが早くなってくれるといいなと思うのです。(イスラム教には喜捨の考えがあるから、税金払うの嫌だからこれ以上働かないなんていうセコい考えは無いか。)