X Hiroshimaじゃない方

 箱根駅伝、昔は年始に祖父の家で観ていたのですが、近頃はめっきり見なくなりました。祖父の家で観ていた頃は山梨学院大学が早稲田と戦っていた時期(調べたら1990年代前半)で、山梨県出身だった祖母が山梨学院大学が活躍することをとても喜んでいた記憶があります。祖父はなぜかケニア人留学生を応援していました。家庭の問題で日本に居づらくなり満州鉄道で働いていた経歴を持つ祖父は、遠く離れたケニアから日本に来ている留学生と日本を捨てる覚悟で一人満州へと渡った自分を重ねていたのでしょうか。

 

 さて、先日X Hiroshimaについてのブログを書きましたが、今回は元ツイッターのXです。「人を志すって、志すとしたら俺はまだ人じゃないって事なのか!?」と笑いを取っていた人もXでの発言がきっかけか活動休止に入ってしまいました。当時一緒にテレビに出ていた彼のご家族も「平凡な人生を歩み、トラブルで世間を騒がせない人を志して欲しかった」のかなと思いました。このようにXはトラブルを生んだり、文字数が少ないことから「使っていると長文を理解できなくなるって頭が悪くなる」などと言われてきました。

 

 石原都知事が都知事選の際の記者会見で様々な経歴の人が多数立候補しており、もしかしたら石原都知事の再選が危ういのでは?と言われた際に記者から「有力と思われる候補者が数多くいるが、石原都知事はどう思われるか?」と問われ、一言「百花繚乱」と返答した事に私はなんと簡潔な返答なのだろうと感激した覚えがあります。このように、本来つらつらと長文で説明するよりも、一言で全てを簡潔に要約できることが本来の語彙力であり、学があるとは正しく簡潔な文章に自分の考えを解りやすくまとめられることだと思っていました。しかし、この事は上記Xの評価とは全く逆の事となってしまっています。なぜなのでしょう。

 

 私にとっての箱根駅伝は、一般入試で早稲田の政経に入りエースとして2区まで走っている選手と戦う山梨学院大学のケニア人を祖父母とともに応援するものだったのですが、山梨学院大学も優勝に絡まなくなり、祖父母も天国に行ってしまいましたので、箱根駅伝を観る理由も無くなりました。いったい山梨学院大学はどれほど強かったのかと実際に調べてみると、92年94年95年と三回優勝しているだけで、そんなに強くありませんでした。私にとっての箱根駅伝最強といえば山梨学院大学のケニア人という認識は間違っていました。箱根駅伝最強校は実は中央大学(昔強かった)で、近年は青学駒沢東洋の戦いなんですね。第1回はなんと国公立唯一の筑波大学が優勝していますが、これはきっとサッカーワールドカップ第1回優勝国ウルグアイと同じ匂いがします。

 

 最強と思っていた山梨学院大学が実は大したことが無いとわかってガッカリな気分もしますが、今でも箱根駅伝で山梨学院大学が優勝してくれるんじゃないかとちょっと期待してしまうあたりは、1985年に阪神ファンがカーネルサンダースを川に投げ込んで以来、彼らが38年間「阪神こそが最強の野球チーム」と信じていた気持ちと同じなのでしょう。

 

 前回のブログは書き途中ではなく、X風に投稿してみたのですが、よく調べてみると私の信じていた山梨学院大学最強説は阪神最強説と同じものでした。上記のように調べてみると歴代最強は中央大学、次に早稲田、近年は青学駒沢東洋であることがわかり、また一つ賢くなることができました。背景知識が十分なケースの要約した短文に価値がありますが、背景知識が無いor調べ無いor調べようが無い場合の短文は価値が無いばかりか内容が不正確で価値が無いばかりか有害ですらあるようです(Xは大抵こっち)。上記のように調べた内容が詳細に記述されている場合は、背景知識がある程度保証されるので、長文になるが価値のある文章となる。そして長文は背景が読めるので、真贋を見極めることができる。でも、Xで長文を分割して連続投稿するのは読みづらいのでやめてほしい。