宮崎駿って庵野秀明を意識しすぎたのだと思う

 こんにちは。さつき台動物病院の院長 多田です。みなさんは観ましたか?「君たちはどう生きるか」。おそらくこのブログを見ている人は観ていないと思います。なぜならブログを読んでいる人の大半は「君たちはどう生きるか」というタイトルの映画を観に行く必要のない「良くも悪くももう生き方の決まった」私と同年代または諸先輩方なのですから。アントニオ猪木の「行けばわかるさ、迷わず行けよ」や美空ひばりの「川の流れのように」の方がよっぽど共感できます。

 

 さて、そんな理由で私と「君たちはどう生きるか」のファーストコンタクトは金曜ロードショーになることが題名が発表された時点で確定していました。映画の内容について細かくリサーチしましたところ、どうやらこの映画の物語は「観客それぞれの受け止め方系」のしっかりとした主張が無いそうです。困りました。私は宮崎駿はてっきり「ガッツリ説教系」のハンマーで観客を殴りまくって、この映画を観た若者は次の日からそれまで目標のあった人は目標に向かって、目標のない人はなにか目標探しの旅に出なくては居ても立ってもいられなくなるような映画なのだと勝手に予想していたのです。

 

 私は「フォレスト・ガンプ」中毒で、映画を観るといえば「フォレスト・ガンプ」を定期的に繰り返し観続けるだけなのですが、それはなぜかというと10代の時にフォレスト・ガンプを観て「人生とは自分の能力を必要としてくれる場所をみつけ、そして自分は周りの期待に応えるためにその場所で一生懸命頑張り、それでも思うようにならないけれでも、思わぬ報酬を得ることができる。なのでいつも頑張れ。」という事を学んで以来、この事を忘れないためにフォレスト・ガンプを定期的に観るようになりました(実は「お前のIQは160はあるに違いない!」のくだりが好きなだけ)。

 

 私の予想では「君たちは〜」の映画は今の10代にかつて10代の私がフォレスト・ガンプから受けたような衝撃、感銘を与えてくれる映画だと(勝手に)思っていたのですが、どうやらファイト・クラブのような映画だったようです。(ちなみに私は2023年になって初めてファイト・クラブを観ました。むちゃくちゃな映画でした。その流れで「セブン」を観たのですが、結構はじめの方で飽きてしまい結局フォレスト・ガンプを観ました。)

 

 「君たちは〜」がどうしてファイト・クラブ的な映画になったかといえば、宮崎駿のかつての仲間であった、あの迷監督の存在があったからに他ならない。そう、庵野秀明である。私が高校生の頃、ちょうどエヴァンゲリオンなるアニメが人気を博していた、冷静になって今観てみるとファーストガンダムのテーマをパクったアニメなのだが、設定が謎に満ちておりさらに丁度ファーストガンダムを(再放送でも)観ていない世代の我々には新鮮に映り大ヒットとなった。

 

 しかし

 

エヴァンゲリオンの設定はアニメが集結しても謎のままで、その謎を解き明かすべく映画を作ったがやはり謎で(しかも前半は総集編)、その10何年後に改めて4部作の映画を作るも全然別の話になっており(しかも前半2つの映画は総集編のリメイク)、10年以上かかって完結した作り直しの作り直しで別の話になった4部作の最後も謎。私がタイムマシンを手に入れたら1990年代初頭に戻ってエヴァンゲリオンというXファイルをまず抹消しに行きます。

 

 宮崎駿もエヴァンゲリオンをみて「僕も結末を謎めいた作品作りたい!」となって、「君たちはどう生きるか」という謎結末の映画を作ってしまったのでしょう。こうして日本にまた人つ「君たちはどう生きるか」というXファイルが増えたのでした。「ハヤオ、あなた疲れてるのよ」

 

 「君たちはどう生きるか」なんて題名のアニメ映画を、映画館で若者に混じって観るなんて、おじさんになったら小っ恥ずかしくてできないよ、、、、。題名もっと何とかならなかったのかな。

 

 あと30年経って宮城リョータの家庭問題も知りたくなかった!

それよりバガボンド早く完結させて!全巻まとめて買って読むから!