家康は悩まないと思う

 こんにちは。さつき台動物病院の多田です。晴天を衝くを途中でドロップアウトしてから、NHK大河ドラマをみていませんでしたが、人気の戦国時代なので以前もお話した因縁のジャニーズ大河なのですが、見ることにしました。(義経だけは絶対に観ません!)

 

 最も天下に近いと言われた今川、最強騎馬軍団を持つ武田、戦の革命児の織田、この三国に挟まれさらに父親を早くに亡くした家康は、生まれながらにしてゲームオーバー状態ですが、その後の生きている間はずっと死の危険にさらされ続けています。唯一命の危険が無かった関東転勤〜関ヶ原の戦いの間も東京湾を埋め立てたり利根川の流れを変えたり生涯を通じてずーっと楽な時期が無く、死の前年になっても大阪まで戦いに行って真田幸村に突撃食らって死の覚悟をするなんて、パンサー緒方も真っ青な最初から最後まで罰ゲーム人生です。「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」と言われていますが、

「オレは安心して座って餅食ったことなんてねーよ!!!

と本人は言うでしょう。

 

 さて、今回の大河ドラマ「どうする家康」では家康が事あるごとに「どうする」と悩んでいますが、実際はそんなに悩んでいないと思うのです。開始即ゲームオーバー状態でスタートしていますので、「とりあえず死なない選択」をとるしか無いし、太原雪斎に英才教育を受けた家康は日本ばかりか中国の歴史や書物を必ず学んでいるはずなので、その中から自分が今置かれた状況でどのように振る舞えば最も生存率を高められるかを過去の事例を照らし合わせて意外と悩まずに決定していると思います。これは三方ヶ原の戦いで負けて逃げた後に、浜松城で諸葛亮孔明の用いた空城計を用いていることからも明らかです。悩めば悩むほど空城計なんて危険で選べないと思います。おそらく孔明ファンだった家康が「まともに戦っても勝てない絶体絶命の機会があれば最期に記念にやってみたかった」空城計をやったのでしょう。そして空城計と見破りながら、さらなる罠の可能性を考えたのかどうかわからないですが、攻めきる事ができなかった武田信玄もきっと孔明ファンだったのです。信玄も一回は言ってみたかったこのセリフを言ったことでしょう「これは孔明の罠だ」と。家康は健康オタクだったことで有名ですが、これも大きな事を成すには長生きが大事であることを歴史から学んだ上のものでしょう。

 

 私が小学生の時に鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府を学んだ時に、やたら江戸幕府だけ洗練したシステムを持ってるな、と感じたのですが(これは家康の孫の三代将軍家光が頑張ったのもありますが)親藩譜代外様の配置など、どうかんがえても鎌倉・室町の問題点を考慮している感が出ています。今考えると太原雪斎の英才教育のおかげなんだろうなと思います。それでも結局関ヶ原の敵方だった長州毛利にやられてしまうのですが、現代の解釈では徳川慶喜の大政奉還→近代国家へとならなければ、植民地化されていた確率が高そうです。ただ、優秀とされている慶喜が本気で治めた日本の未来もみてみたかったですね。

 

 結局、NHK大河ドラマ「どうする家康」をみていて一番感じたことは、、

 

セリフの音量が小さくて、

  字幕出さないと何言ってるかわからない。

 

 出てくる単語も日常会話で使わないので余計わからないですよね。