今(2022年)からみてみると2010年代ってSNS全盛期だったのかも

 こんにちは。さつき台動物病院の院長多田です。コミュニケーションツールの変遷をみていて、1990年以前の家電話、1990年代はポケベル→PHS、2000年代は携帯電話。PメールとかアステルとかJフォンとか正確に名前を思い出すのも大変な昔の出来事になってしまいました。新宿はJフォンの電波が弱いとか、ドコモの携帯でも混線して他の人の会話がちょっと混じってたのを考えると、技術の進歩はすごいし、それにも関わらず携帯料金が安くなってることに驚きを隠せません。きっと変わらなく見えるポテトチップスも実はすごく進歩しているのだと思います(値上げしてるけど)。

 

 さて、ツイッターが名目世界一のお金持ちイーロン・マスクに6兆円超で買収されましたが、イーロン・マスクの資産が27兆円でそのポケットマネーで買ったのかとも思いましたが、色々持ってる資産が27兆円相当の価値ってだけで、実際現金で6兆円も当然持ってないであろう。6兆円ってどうやって調達するのだろうと調べたら、新株発行やテスラ株を担保に融資を受けたりして調達しているそうです。「テスラ株を担保に融資」って正気の沙汰とは思えないですが、そんな事を考えてしまう私はアメリカンドリームとは縁遠い男なのでしょう。それもそうです、私の祖先は安全な土地を目指して東へ東へと移動していたら、地震台風火山暑熱山地急流洪水の島に取り残されたかわいそうな人なのです。石橋を叩いて渡ったらその先は地獄でした。今は平和でいい国ですよご先祖様、あと食べ物が美味い。

 

 さてさて、ツイッターの大量解雇やフェイスブックの人員整理などをみていると、SNS業界も成熟期から衰退期に入ってるのかな〜と思いました。そう考えると2010年代はまさにSNS時代でしたね。今は手書きの手紙をもらうとなんだかすごく手間のかかったものを「頂いた」気持ちになるのもSNS時代だからのような気がします。

 

 フェイスブックは2020年代以降をメタバースの時代にしたいようですが、メタバースってすでに90年代にネットゲームができた時点で同様のものがあったような気がします。にも関わらず流行りそうな雰囲気すらないのは、↓のデス・ストランディングというゲームのホログラム並にリアルな画像が自宅の部屋に立体投影されるぐらいの技術が無いと難しいのではないかなぁと思います。

 2020年代以降のコミュニケーションツールがどのようなものになるのかわかりませんが、イーロン・マスクはツイッター買収の理由を「人類の為に健全な議論の場を保全する」と説明しています。確かにYoutubeの広告もFacebookの広告も、googleのウェブ広告もため息が出るような内容のものが多いし、私がツイッターを使わない理由も関係ない投稿が表示されすぎていて見る気にならないからで、Facebookではいい歳した専門家同士が一般人に見える場所でバトルを繰り広げているし(業界内のバトルを楽しむのはプロレスだけでOK)、クオーラというSNSでは専門家なのか関係者なのか元関係者なのかわからない人が質問に答えるだけでいまいち議論にならないし、いまいちSNSは「本当に正しい(検閲などのない)情報を得るための、健全な議論の場」になりきれていない事は明白です。世界一のSNSであるフェイスブックもメタバース事業に力を入れるのではなくて、自分達の本業を本来のあるべき姿にすべく力を注ぎ込むべきなんでは無いかなぁと思う一方で、それには全世界の学校で「Facebookの正しい使い方」を教育する必要があるような気がします。「Facebookの正しい使い方」ってなんだよと思われるかもしれませんが、古来より電話を使いこなし電話マスターを自負する我々中年が「イタ電禁止」や「なりすまし電話はダメ(おれおれ詐欺)」を当然の事と知ってるのと同義です。

 

 でも本来のFacebookって、大学のカワイイ女の子と付き合える可能性があるか知るためのアプリなんですよね。昔の人で、テキトウな電話番号に電話して若い女の子が出たらとりあえず面白い話しをして、うまく行ったら仲良くなって、会えそうなら会って、好みなら付き合うって事をやった人がいるって聞いたことがありますが、これってザッカーバーグの師匠レベルの発想だなと思いました。